行き場のないきもちは空に消えて。

なんとなく補習をさぼってしまった。ここに何かを書くときは大体さぼってるときかメンタルが弱っているときだなぁ。下書きにゲスの極み乙女。の『ドレスを脱げ』と愚痴を合わせて書いたものが入っていたけど、ちょっとお見せできるものじゃなかった。一応下書きにする理性は残っていたんだなぁ。


SHISHAMOの『行きたくない』を聴いている。

歌詞もそのもので

学校には行きたくないよ
考えてるうちに具合悪くなっちゃうんだから
だから これはズル休みじゃないよね
ズルくなんてない休み

って感じ。自分は具合悪くないんだけど笑。この前遅刻したときは生理痛ですって言ったなぁとか思い出す。そんな言い訳と小さな嘘をつくのもあと半月くらい。センター試験が終わったらほぼ自由登校。わたしの高校生活もあと3か月ない。
制服を着ているうちに感じていたかった眩しい感情のほとんどを感じられずに3年間が過ぎていった気がする。なんてノスタルジックな感傷。1年生のときが一番きらきらできていたかもしれない。2年生の夏は今までの人生で一番思い出したくないどん底。3年生は…しぶとく生き残ったねってよく言われた。よく進級できたねって。まだ卒業できるか分からないし進路も決まってないんだけど。








ただ漠然と公務員になりたいという将来設計があった。でも高校生になって、とても難しいことだと分かって。それからただなんとなくの毎日を過ごしてきた。夢も希望も打ち込めるものもなく、あぁでも音楽だけはずっと、聴いていたのだけど。

ただ漠然と文章を書いて暮らしていたいなぁと思う。昔から唯一褒められたものだった。得意なことなんてなくて、運動も、計算も苦手で、そんな私の唯一の。小説のような創作のものが書きたいとかではないからどうしたらいいか分からないけれど、一生文章を書いて生きていけたらなぁなんてそれこそお伽噺というか、夢だなぁ。

一年生のとき、部活の先輩に褒められた文章を思い出した。その先輩は見た目も中身もオタクでどちらかと言わなくても苦手だったけど、小説を書くのがとてもうまくて、部誌で唯一楽しみにしていた。で、その先輩に褒められたのがこれ。

どうしようか思案している。多分今まで溜め込んできた物が何かの拍子で溢れてきたのだ。たとえば冷蔵庫を開ける音だとか。ふとしたことで零れた気持ちが押し寄せてきて、彼女を溺れさせていた。手をひいてあげるから呼吸をしてよ。じゃないと俺まで溺れちゃう。

今読むと中二臭しかしないね笑。引用したけど恥ずかしい文章だなぁこれ。ここの『たとえば冷蔵庫を開ける音だとか。』という一節。そこを取り上げてもらったのだった。すごく嬉しかった。だって、何気ない一文だし、自分でも思い入れがあるとか捻って考えたとかじゃないのに褒めてもらえたのだから。自分が意識しなくても、他人の(それも文章が上手い人の)琴線に触れることがある。そんなことってあるんだなぁと思って。









自分が進路で踏ん切りがつかないのは、まだ迷っているから。自分はずっと文章を書いて生きていきたいけれど、そんなものはお金にならない。自分の文章に価値があるなんてこと絶対にないから。それはね。だから、少しでも就職できるように資格を取らなきゃいけなくて、だったら就職に結びつく資格を取った方がいい。そうしたら、文章を書くこととは違うことを勉強しなきゃいけない。でもそれが、本当にしたいことなのか分からない。ピアノが多少弾けたって、絵が少し描けたって、子どもの相手なんて向いてない。そんな自分の性格なんて分かってる。自分が一番、これでいいのか?って、思って、分かってる。

やりたいことが勉強できる人って、自分がその方面に対して何かしら得意だと思う気持ち…自信があるんだなぁって思う。自分はどうしても、そう思えないし、ダメだったときどうするの?って常に考えてしまう。あと4年で、ダメだったら。そこからやり直せるのかって考えたら、あぁ無理だなぁって思う。だから踏ん切りがつかない。本当に石橋を叩いて渡らないタイプだよねって言われた母親の言葉がぴったりだ。

だからこうやって学校休んでブログ書いて受験勉強に身が入ってない証拠。あー行きたくないってYouTubeSHISHAMO聴いて。自分でもなにがしたいか分かんない。

自分の人生の主役になりたいと思わないか。BaseBallBearの『ファンファーレがきこえる』を聴くと問われる。自分の人生だから、自分で生きなきゃいけない。そんなこと分かってるんだけど。分かり切っているんだけど。

母親と妹は私の嫌な面を一番見ているから率直な意見を言われる。「あなたとは友達(恋人)になりたくない」性格がねじ曲がってるから。自分でも自分のことが分からないのに、他人と関われるはずもなく、他人に理解されるわけもない。それでも、生きていかなきゃいけないのが辛い。本当にもうこんな性格やめたいのに。自分の気持ちすら分からなくて、自分の素直な気持ちも伝えられなくて、一人でため込んで、ネットに吐き出して、そんなつまんない人生で、人格で、なのにやめられない。やめようとしない。考えることをやめられない。


この記事だって数か月後に見返したら、何言ってんだって思うんだろうなぁ。ここに書くこと本当に愚痴ばかりで嫌になっちゃう。最近いいもの見てないから書けないけど。


ゲスの極み乙女。の『キラーボール』をずっと聴いていて、ああこの歌詞ってこういう意味かぁってようやく分かった。踊ることをやめなければ誰も傷つけない。演じることをやめなければ誰も傷つけないんだ。誰も、自分すら騙して傷つけず生きていきたい。今はそんな気分だ。